小説『 愛を知っているならパスタで踊れ 』15
手探りで壁沿いのスイッチを探した。普段、壁を触っていないし気にもとめてないからわからないけど、思ったより変な粘り気を感じた。カビ臭い匂いも手の感触も暗闇のせいだろうと思った。ようやくスイッチを見つけ電気をつけた。部屋の中はソファを残して他に何も残っていなかった。冷蔵庫もフライパンもパスタを茹でる鍋もCDもレコードも机も食器も無くなっていた。たった一つソファが部屋の中にぽつんと残されていて何か毛布に包まれてソファの上で横たわっていた。
彼女の姿はどこにもなかった。クローゼット、洗面台、浴槽、ベランダ。そのどこにもなかった。僕は一度外に出て部屋の番号を確かめてみた。それは僕が住んでいる部屋の番号だった。もう3年住んでいるし間違えるはずがない。
何かとても重要なことを忘れている気がする。彼女は、あなたは忘れていたことを忘れているのよ、と言った。僕は壁にもたりかかり思い出そうとした。ごめんね、と言えたのはずっとずっと後のことだった。