小説『 レトリック・サーカス 3 』拓也と紀香
ボブ・ディランが『 One Too Many Mornings 』で歌ってる。
“ 君の立場になれば 君が正しい
僕の立場になれば 僕が正しい ,,
確かにそうだよな、と僕は想う。
何が正義で、何が悪かなんて一人一人違う。その不安を取り除きたい為に僕らは多数決をとる。
49対51。
ほんの少しの違いで、全てがひっくり返る。
51対49。
僕らは行ったり来たり。
東へ西へ。北へ南へ。
でも、誰一人として残った靴跡の意味を考えたりしない。
昨日まで味方だった人間が、今日、突然、敵に変わる。
それを誰が責められるだろう?
それは、僕だって同じことだ。
僕がこの物語の主人公、拓也のしたことに共感など、たったの1ミリもしないが同情ならしてしまう。
拓也は、ダッチワイフに『 紀香 』と名付けている。
僕は持ってないけど( 今後も買う予定も必要もない )最近のダッチワイフはとっても綺麗だ。
世界中の49点以下の女性より、遥かに綺麗だし、本物の人間に見える。
拓也は、37歳でブログでご飯を食べていきたいと思っている。
勿論、そんなに簡単には上手くいかない。親と一緒に暮らして、親の年金でご飯を食べている。完全無欠のニート。
彼は女性と付き合ったこともないし、性行為の経験もない。
始めは「 僕だって、いつかは 」と彼は思っていた。気付けば、そのいつかは、いつまで待っても訪れず37歳になっていた。
ダッチワイフの存在を、たまたま彼はツイッターで知る。これなら、自分を傷つけないし、相手も傷つけないですむ。
理想通りの女性を、やっと見つけることができた。ダッチワイフが届いたその日に彼は紀香と名前を付けた。
紀香と性行為する為に、人気の少ないラブホテルを使用した。そのラブホテルは自宅から2時間も離れた場所にあり【 営業中 】のネオンサインの【 業 】が点いておらず【 営 中 】と点滅していた。
性行為の間、拓也は心の底から自分が紀香に愛されているんだと実感できた。彼女は、僕の全てを理解して、僕の全てを受け止めてくれている。毎回ではないが、彼女の言葉を聞き取れることまでできていた。
そんな中、事件が起きた。
理想通りの女性を手にした拓也は、何を間違えたのか紀香をラブホテルに置き去りにしてしまった。
話を24分19秒前に戻そう。
拓也は、紀香の不在を帰り道の途中で気付く。いつもいる筈の助手席に彼女は居なかった。
拓也は、パニックになり、彼女は僕のことに嫌気がして逃げ出したんだと思った。頭の中で彼女の声がした。「 ラブホテルに戻って 」
拓也は3回、信号を無視した。自分を恥じり呪った。ラブホテルに戻ってた時、既に他の客が入っていた。
問い合わせたところ「 ゴミ置場に捨ててしまいました 」と備え付けの電話で従業員は申し訳なそうに応えた。
ゴミ置場に紀香は頭から突っ込まれていた。近所のガソリンスタンドで、灯油を購入して、ラブホテルの周りに撒き火を点けた。
やり過ぎだろう?とあなたは想うかもしれない。
ただ冒頭にでも言ったように、君の立場になったら君が正しい、僕の立場になったら僕が正しい。拓也も、そう感じている。
ごめんね、と拓也は涙を流しながら、紀香に謝罪する。
大丈夫よ、と紀香は無表情で拓也を慰める。
消防車のサイレンの音が遠くから聞こえる。部屋から何組かのカップルが悲鳴をあげながら転がるように出てくる。
その火が消えても、拓也と紀香は見つめ合っていた。