素敵な図書館

毎週土曜、夜11時に僕、佐藤が自作小説をアップしていくブログです。コーヒー、あるいはお酒を飲みながら訪問していただけたら嬉しいです

小説『 正直な掃除機 』

我が家は、ようやく正直な掃除機を買うことができた。

 

そんなこと恥ずかしくてずっと誰にも言えなかった。

 

ご近所の噂にならないか、長男が友達に馬鹿にされたりしないか、不安で不安でたまらなかった。

 

「 10年かかったわ 」と妻は言った。

 

「 うん 」と僕は言った。

 

「 当社の製品は自己破産した方には売れないんです 」とオペレーターは言った。

 

「 それは困る、どうしても正直な掃除機が欲しいんです 」と僕は半泣きで訴えた。

 

「 奥さんに借金があること黙っていましたよね?貴方が正直じゃなかったせいで困った方がいるんです。正直じゃない貴方が、正直な掃除機を買える資格なんてないんです 」とオペレーターは言った。電話からツバが飛んできそうな勢いのある話し方だった。

 

「 2倍出します 」と僕は言った。

 

「 恥を知れ!コンチクショー 」とオペレーターは怒鳴った。その時の電話で僕の左耳の鼓膜が破れてしまった。

 

あれから10年が経った。

 

我が家はその間、なるべく正直であることに努めた。

 

不満がある時は正直に伝え、嬉しい時には正直にお礼を言った。

 

正直であることは、なかなか素敵なことだと僕は知った。

 

大半のことは正直に伝えることで解決できた。嘘をついたり、見栄を張ったり、共感しているフリをするのを止めたことで、僕は、我が家は楽しく暮らせることができた。

 

「 度数が合っていないメガネをずっとかけていた様な気分だよ 」と僕は言った。

 

「 正直者は馬鹿をみる、と言うけど馬鹿にしたければすればいいのよ。コンチクショー! 」と妻は言った。

 

「 コンチクショー!と言うのは止めてくれないかな? 」と僕は言った。

 

「 あのオペレーターの電話がトラウマなのね。正直に話してくれてありがとう。これからはコンチクショー!なんて言わないわ 」と妻は言った。

 

ある日、真夜中のテレフォンショッピングで正直な掃除機が売り出されていた。

 

僕と妻は一緒にハイボールを飲みながらポテトチップスを食べていた。

 

「 今回、ご紹介する商品は、正直な掃除機です!しかも当社限定のマイク付きです! 」と胡散臭い高い声の司会者が胡散臭い客席に、胡散臭い笑顔を振りまいていた。

 

「 今なら買えるかしら? 」と妻は言った。

 

「 う〜ん、正直に暮らしてる僕らに、今更必要かな 」と正直に僕は言った。

 

「 今度、剛太の家庭訪問があるのよ。さり気なく置いといきたいのよ。先生も正直な掃除機を見たら、安心するんじゃないかしら 」と妻は言った。

 

値段は280万だった。駄目もとでオペレーターに電話したら、あっさり買えた。

 

「 本当に買えるんですか? 」と僕はオペレーターに聞いた。

 

「 勿論です!しかも今回は限定モデルのマイク付きです!明日の夕方にはお届けしますねぇ!」とウキウキ声でオペレーターは言った。

 

約束通り正直な掃除機は、夕方に届いた。

 

佐川急便のお兄さんが片目をつぶって右手の親指をグッと立てて「 グッドラック! 」と言った。

 

箱から取り出して囲い込む様に正直な掃除機を眺めた。

 

「 見る限りでは普通の掃除機だね 」と僕は正直に言った。

 

「 うん 」と妻は言った。

 

「 電源を入れるけどいいかな? 」と僕は言った。

 

「 ちょっと待って。心の準備がいるわ。それにほら、詰め替え用の掃除パックも買っていないし 」と妻は言った。

 

「 ねぇ、この際ご近所さんに聞いてみない。正直な掃除機がどんな効果があるか? 」と僕は言った。

 

そんなわけで恥を承知でご近所さんに正直な掃除機がどんな効果があったか聞いてみた。しかし意外な答えが返ってきた。

 

「 実はね、買ってないのよ正直な掃除機 」とご近所さんは言った。

 

驚いたことに12人に聞いてみたところ、誰も正直な掃除機を買っていなかった。

 

「 私たち、なんであんなに悩んでいたのかしら。正直な掃除機を持っていなかったことにずっと負い目を感じてたなんて。笑えるわね 」と妻は言った。

 

正直な掃除機を買ってから17年、僕は電源を入れずにいる。

 

電源を入れてしまったら、我が家の正直は正直さを保っていられるのだろうか?

 

それでも相変わらず、正直な掃除機は売れ続けていた。

 

我が家が持っている限定モデルはオークションで520万円で売られている。

 

長男は言った。「 ダイソンの掃除機を買えば良かったんじゃない? 」

 

僕と妻はその問いには唯一、正直に答えられずにいた。