素敵な図書館

毎週土曜、夜11時に僕、佐藤が自作小説をアップしていくブログです。コーヒー、あるいはお酒を飲みながら訪問していただけたら嬉しいです

小説『 コロニー 』6

『 安曇荘 』は高層ビルに挟まれる様に建っていた。二階建てのアパートは朽ち果ていて、外には洗濯機があり洗濯物が不幽霊の様に風でなびいていた。ポストは野晒しで設置しており、ペンキが剥げて錆びついていた。105号室の名前を確認したが書かれておらず諦めてドアをノックした。コン、コン、コン。3度ノックしたが返事はない。ほんの少しだけ私は安堵した。留守なら仕方ない、出直そう。心の中で自分に言い聞かせた。私はここまで来るのに2ヶ月もかかっていた。「 そうやってまた逃げるつもり? 」と妻の言葉が頭で何度も蘇り軽いめまいがした。空を見上げて深呼吸する。あと3回、あと3回だけノックしてみよう。コン、コン、コン。誰かが部屋の奥で咳払いをした気配がした。しばらく経って「 どなたですか? 」と女性の声がした。「 松嶋です 」と私は返事をした。「 帰っていただけませんか? 」と渇いた声がした。「 あなたに謝りたいことがあるんです 」「 あなたが生きてるだけで私は傷付いているんです 」と女性は言った。

友人の隼人をスキー旅行に誘ったのは私だった。隼人はスキーを1度もしたことがなく嫌がった。「 なんで雪の上を滑らなくちゃいけないんだよ。お前怪我したら責任とれるのかよ? 」と嫌がる隼人を無理に連れ出した。私は家にいるのが苦痛だった。妻とは子どもが産まれた後もぎこちない会話が続いた。子どもが産まれれば2人の絆は深まる。そんな淡い期待だけが宙ぶらりんになったまま私は日々を暮らしていた。そしてあの事故が起きた。私が彼を誘わなければ、彼は死なずにすんだのだ。ドア越しにいる女性と幸せな日々を過ごしていたに違いない。私が隼人を殺したようなものだった。「 謝りたいんです 」と私は言った。ドアに何かぶつけられた鈍い音がした。「 あなたが私達の事を忘れても、私は死ぬまで忘れない 」と女性は言った。

自宅に帰る道が永遠にたどり着かないと思えるくらい長く感じた。すれ違う人々が敵に思えてびくびくしながら歩いた。ドアを開けると妻が台所でエプロンを着けて夕飯の準備をしていた。「 今日はカレーよ。匂いで分かると思うけど 」と妻は言った。「 全然、気づかなかった 」と私は苦笑いをした。「 私の好きな小説でカレーは幸福の匂いがするって言う台詞が好きなのよ 」「 幸福の匂い?」「 夕飯時、学校や仕事の帰り道を歩いているとお家から、カレーの匂いがするの。その匂いで急にお腹が減るのよ。うわぁ、カレーが食べたいなぁ、と思うと同時に、家族にカレーを食べさせてあげたいなぁ、って思うのよ。その匂いは想像できるの、帰ってくる人の為に、料理を作っている人の姿が。他の料理にはないものよね、きっと 」と妻は言った。それに上手く応えることができずに「 どうしたらいいか、解らないんだ。何故、私だけ生き残ってしまったんだろう 」妻はエプロンを外して包丁を持ったまま私の目の前に立った。「 あなたが眠っている間、ずっと私と啓太とばぁちゃんで笑っていたの。互いに支え合おうって。そしたら、あなたがそれを観て目を覚ますんじゃないかって。嘘みたいでしょ?私があなたと結婚してから、こんなに笑ったことなんてなかったのに 」妻は私の手の甲を思いっきりつねる。堪らず私は、痛いと言った。「 いい?これは命令よ。あなたはずっと笑っていなさい。あなたが側で笑っているだけで私たちは幸せなの。今度またツマらないこと言ったら、私が殺すわよ 」と言い妻は笑った。