素敵な図書館

毎週土曜、夜11時に僕、佐藤が自作小説をアップしていくブログです。コーヒー、あるいはお酒を飲みながら訪問していただけたら嬉しいです

小説『 レトリック・サーカス 6 』ジキルとハイド

 

自分の子どもを自分の手で殺す。

残念ながらこの世界では、そんな親が死ぬ程、存在する。

 

現に今日だけで何人目だろう?

だからと言って、岳本慎に憑依したジキルとハイドは、躊躇など一切しない。

 

岳本慎は、風呂場で長男の雅史の頭を湯船に押さえつけている。右手で後ろ首を掴み、左手は頭を押さえつけている。

 

雅史も急な出来事で驚いている。父親がこんな冗談をする様に思えないし、高校に入学してから3年間、父親と会話をした覚えがない。

 

湯船の中で、もがけばもがく程、酸素はなくなり、気泡の数の量が多くなっていく。

 

何故?何故?何故?雅史は何度も父親の手を振り払おうとするが、湯船から両手の手首を出すのがやっとの状態。

 

岳本慎は笑っている。

本当はもっと大声で笑いのだろう。楽しくて楽しくて仕方ないって顔をしている。

 

家族の絆は、ほんの少しのすれ違いで、修復不可能になってしまう。遠くからは分からない。近くに寄って見ると、ボタンの留め位置は擦れて、そのうち面倒になってかけ直す事を諦める。

 

岳本慎の人生は、常に妥協を選んできた。洗濯干しのやり方、衣服類のたたみ方、クローゼットやタンスの収納の仕方、部屋掃除のペース、トイレットペーパーのストックの数、食器の趣味、玄関に置く靴の数、テレビチャンネルの主導権、週末の予定、妻や子どもが在るべき姿。

 

自分と同じ人間なんているはずがないのだから、同じ考え方や感覚で人生を共にできるはずがない。

 

妥協。それぞれが、その気持ちさえあれば、争い等、生まれるわけがない。

 

しかし、雅史は、自分の意見を持たず生きている父親を馬鹿にしていた。

 

「 そんなの死んでると同じだろ? 」

 

岳本慎は、雅史に対して怒りより、憐れみを強く感じた。自分が妥協して、今の妻を選ばなければ、お前は産まれてこなかったんだよ。そんな簡単な事も分からないのか?

 

だから、殺す事にした。

自分が殺さなければ、いつかお前は自分のつまらないプライドのせいで、誰かを深く傷つけてしまう。

 

「 どこにでもいる普通の父親に見えるんだけど 」とジキルは言う。

 

「 俺は普通って言葉を信じない。普通の人間なんて、この世界に存在しないからだ。人間は、それぞれ少しずつ可笑しいし、狂っている。それを認めないから殺し合う 」とハイドは言う。

 

「 僕らの出番が増えるわけだ。そうなると普通の死神も存在しないって事? 」とジキルは言う。

 

「 死神は普遍だ。人間が存在する限り 」とハイドは言う。

 

岳本慎は、いつか後悔するだろか?雅史は父親の子どもに産まれた事を恨むだろうか?

 

「 悪いな。死に方は選べないんだ 」とハイドは言う。

 

その言葉は、永遠に雅史には届かない。

小説『 レトリック・サーカス 5 』小久保とミシュランマン

 

【 約束 】

 

《 当事者の間で決めること。また、その決めたこと。 「譲ることを-した」 「 -を破る」

ある社会・組織などで、あらかじめ決められていること。きまり。ルール。 「演技上の-」

生まれる前から定まっている運命。宿命。因縁。 「前世からの-」》

 

約束をする人がいるなら、その約束を待っている人がいる。

 

そんな難しい約束や、大それた約束じゃなくていい。

 

友人をランチに誘う。約束の時間より15分前に店に着く。テラス席でぼんや街を眺めていると救急車が通り過ぎていく。違うとは思うけど友人のことが気になる。約束の時間を5分過ぎた頃にLINEで連絡がくる。安堵する。同時に空腹が襲う。待つ方は、いつもお腹が減る。

 

「 そんなわけで、早く報告に行かなきゃいけないんだよ 」と小久保は言った。

 

戦争映画に出てくる様なボロボロの状態で、小久保が僕の店にやってきたのは、閉店15分前だった。

 

左瞼は目が確認できない程、腫れ上がり、前歯は折れて歯茎から血が流れていた。鼻は変形して右寄りに傾いていた。脇腹が痛むのか、庇う様に前乗りになりながら、指の曲がらなくなった右手で摩っていた。

 

渡したタオルはみるみる真っ赤に染まっていった。どれだけ渡しても止まらないんじゃないかと思うぐらい血は止まらなかった。

 

小久保は、プロレスラーのチャンピオンになったばかりだった。僕はプロレスに全く興味がないので、彼が「 チャンピオンになったばかりなんだ。でも、それも今日までだけどな 」と言った時は信用できなかったが、検索したら顔の原型がギリギリ彼だったので信じることにした。

 

「 約束したんだよ、チャンピオンになったら会いに行くって 」と小久保は言い、こんな状態でも交わした約束を果たす意味の経緯を僕に話した。

 

 

ー『 安曇荘 』は高層ビルに挟まれる様に建っていた。


二階建てのアパートは朽ち果ていて、外には洗濯機があり洗濯物が不幽霊の様に風でなびいていた。

 

ポストは野晒しで設置しており、ペンキが剥げて錆びついていた。

 

小久保は103号室の名前を確認したが、書かれておらず諦めて103号室のドアをノックした。

 

コン、コン、コン。

3度ノックしたが返事はない。

 

灘丘は本当に此処に住んでいるんだろうか?

 

もう1度、小久保はノックした。


部屋の中で誰かが咳払いした気配がした。

 

「 灘丘さん、一緒の施設で育った小久保です。あなたに会いたくて此処まできました 」とドアをノックしながら小久保は言った。

 

ズルズルと何かを引きずった音がした。

その音はドアのすぐ反対側で止まった。

長い沈黙の後「 人違いです。私は櫻井です 」とドアの反対側から声がした。

 

「 あの図書館に行きました。人の記憶を引き取ってくれる図書館です。灘丘さんの記憶を俺は借りました。灘丘さんがプロレスラーの時の記憶です 」と小久保は言った。

 

「 あなたは俺の憧れでした。施設に遊びに来てもらった時、あなたと父親の話をしました。あなたを施設送りにしたにも関わらず、あなたは《 それでも、俺は生きている 》と言った。《 父親がいなければ、俺は、この世に存在していないんだよ。それにどんなクソみたいな父親でも、たった一人の父親だからな 》と俺の頭を撫でながら笑っていました。その時、俺はあなたの様な人間になりたいと思いました。強くて心の優しい人間に 」

 

「 申し訳ないけど 」と言うドアの反対側の声を遮る様に小久保は続けた。

 

「 俺はタクシーの運転手をしていましたが、またプロレスを始めたいと想ってます。1年後にあるテストにも申し込みました 」

 

「 わざわざ、それを言いに此処まで来たんですか? 」

 

「 あなたに、ありがとうが言いたくて来たんです。図書館の館長の助手が言ったんです。《 伝えたい気持ちがある時は、生きている間に伝えるべき 》って 」

 

「 佐々木くん? 」

 

「 そうです。15歳の子どもに教えられるなんて笑えますよね。今度、俺があなたに会う時はチャンピオンになった時です。また、来ますね 」と小久保は言った。ー

 

 

「 ドアの反対側で笑った気がしたんだよ。そんな気がしただけかもしれないけどな 」と小久保は言った。

 

「 ドラマみたいです 」と僕は言った。【 ドラマみたいです 】、、、仮にこれがドラマだったとしたら、この台詞は外されそうだ。

 

「 俺は俺自身の人生に対して、諦めることを諦めたんだよ。白旗をあげるだろ?でも覚悟さえ決めてしまえば、その旗を前よりほんの少し高く上げることができる。その旗を必ず誰かが見ている 」と小久保は言った。

 

店のBGMがホレス・シルバーの『 ソング・フォー・マイ・ファーザー 』に切り替わった。「 僕に手伝えることは、ありませんか? 」と僕は言った。 

 

 

 

 

小説『 レトリック・サーカス 4 』僕とマンホールの女

 

『 面白いお客さんに出会えること 』

 

喫茶店を経営して1番の楽しみが、僕にとってこれが当てはまる。

 

面白いと言っても、基準がある。

ギャグや変顔は論外だ。

 

店の雰囲気に合わせることは勿論、今まで生きてきた中で、触れたことのない体験を一緒に共有できるフワフワした感覚。

 

その人の人柄や話し方、その輪郭を撫でるだけで、僕は幸せな気持ちになる。

 

ごく稀に、人間じゃないお客さんも来店する。

 

その日は、1日中雨が降っていて、1日中、MJQを店で流していた。(どうして雨の日にMJQは、こんなに似合うだろう?)

 

ミルト・ジャクソンビブラフォンが、雨音と溶け合い、今は亡き名ギタリストに寄り添っていた。

 

店のドアを開けた後、ずぶ濡れのまま、ウーパールーパーは4人席のソファーに腰を下ろした。

 

ウーパールーパーが着ているディッキーズのツナギから、雨の匂いとガソリンの匂いがプンプンしていた。タオルを渡し、注文を訊ねたら「 ミックスナッツとコロナビールを下さい。あっコロナビールにライムは入れないで。ライムは私たちはダメなんですよ。ムフフ 」とウーパールーパーは言った。

 

店内には、他のお客さんは居なかった。思い切ってウーパールーパーに「 僕も一緒に飲んでいいですか? 」と訊ねたら「 どうぞ。1人で飲むのは淋しいし。丁度、あなたに話があったんですよ。ムフフ 」とウーパールーパーは無表情で可笑しそうに言った。

 

ウーパールーパーが自分のことを『 1人 』と呼んでることに疑問があったが、それには振れずに「 僕に話?お客さんは、僕の事を知ってるんですか? 」と僕は言った。

 

「 あなたは人生の分岐点について考えたことはありますか? 」とウーパールーパーは言った。

 

僕は人生の分岐点について考えてみたが、言われるまで、そんなこと考えたことなどなかった。僕は正直にそう答えた。

 

「 この先の人生、正しい道を選びたいと思いませんか?死ね時に『 あの時、違う道を選んでいたら、こんな悔いの残る生き方はしてなかった筈だ! 』と嘆かないですみます。これさえあれば 」とウーパールーパーはサングラスをツナギの右ポケットから出して、テーブルの上に置いた。

 

よく見てみるとウルトラセブンの変身するそれに似ていた。

 

「 これは何ですか? 」

 

スピッツァーです 」

 

スピッツァースピッツってバンドなら知ってるんですけど 」と僕は惚けてみたが、ウーパールーパーは無表情で「 スピッツァーです 」と言い切った。

 

「 このスピッツァーが便利ですよ、ムフフ。これさえあれば人生の分岐点が解るわけですよ。いいえ、お金は要りません。私たちの住む町ではお金なんて存在しないんです。ムフフ 」とウーパールーパーは言った。

 

僕はスピッツァーと呼ばれるサングラスを手にとって確かめてみたが、見れば見る程、ウルトラセブンの変身道具に似ていて、変身したい衝動にウズウズしてきた。

 

ちょっと待てよ、こうなることを予測して、催眠術師の様に僕に問いかけてるかもしれない。

 

「 例えば、MJQの再結成は、彼らにとって正しい決断だったんですか? 」と僕は訊ねた。

 

コロナビールをもう1本下さい、とウーパールーパーは言った。ウーパールーパーはとっても美味しそうにコロナビールを飲んだ。

 

「 また、来ます。今から5分後、1人の女性が店に来店します。その女性は、あなたに、この街のマンホールの数をあなたに訊ねてきます 」とウーパールーパーは言った。

 

「 何で分かるんですか? 」

 

スピッツァーがあるからです。あなたが人生の分岐点で間違わない選択をしない様に私たちは、やってきたんです。スピッツァーは置いときます 」とウーパールーパーは店から出て行った。

 

スピッツァーと呼ばれるサングラスと、空になったコロナビール2本と、一口も食べてないミックスナッツがテーブルの上に残った。

 

ウーパールーパーが座っていたソファーに触れてみるとソファーは水に濡れずに乾いていた。ガソリンの匂いもしなかった。

 

 

小説『 レトリック・サーカス 3 』拓也と紀香

 

ボブ・ディランが『 One Too Many Mornings 』で歌ってる。

 

“ 君の立場になれば 君が正しい

  僕の立場になれば 僕が正しい ,,

 

確かにそうだよな、と僕は想う。

 

何が正義で、何が悪かなんて一人一人違う。その不安を取り除きたい為に僕らは多数決をとる。

 

49対51。

 

ほんの少しの違いで、全てがひっくり返る。

 

51対49。

 

僕らは行ったり来たり。

東へ西へ。北へ南へ。

 

でも、誰一人として残った靴跡の意味を考えたりしない。

 

昨日まで味方だった人間が、今日、突然、敵に変わる。

 

それを誰が責められるだろう?

それは、僕だって同じことだ。

 

僕がこの物語の主人公、拓也のしたことに共感など、たったの1ミリもしないが同情ならしてしまう。

 

拓也は、ダッチワイフに『 紀香 』と名付けている。

 

僕は持ってないけど( 今後も買う予定も必要もない )最近のダッチワイフはとっても綺麗だ。

 

世界中の49点以下の女性より、遥かに綺麗だし、本物の人間に見える。

 

拓也は、37歳でブログでご飯を食べていきたいと思っている。

 

勿論、そんなに簡単には上手くいかない。親と一緒に暮らして、親の年金でご飯を食べている。完全無欠のニート

 

彼は女性と付き合ったこともないし、性行為の経験もない。

 

始めは「 僕だって、いつかは 」と彼は思っていた。気付けば、そのいつかは、いつまで待っても訪れず37歳になっていた。

 

ダッチワイフの存在を、たまたま彼はツイッターで知る。これなら、自分を傷つけないし、相手も傷つけないですむ。

 

理想通りの女性を、やっと見つけることができた。ダッチワイフが届いたその日に彼は紀香と名前を付けた。

 

紀香と性行為する為に、人気の少ないラブホテルを使用した。そのラブホテルは自宅から2時間も離れた場所にあり【 営業中 】のネオンサインの【 業 】が点いておらず【 営  中 】と点滅していた。

 

性行為の間、拓也は心の底から自分が紀香に愛されているんだと実感できた。彼女は、僕の全てを理解して、僕の全てを受け止めてくれている。毎回ではないが、彼女の言葉を聞き取れることまでできていた。

 

そんな中、事件が起きた。

理想通りの女性を手にした拓也は、何を間違えたのか紀香をラブホテルに置き去りにしてしまった。

 

話を24分19秒前に戻そう。

 

拓也は、紀香の不在を帰り道の途中で気付く。いつもいる筈の助手席に彼女は居なかった。

 

拓也は、パニックになり、彼女は僕のことに嫌気がして逃げ出したんだと思った。頭の中で彼女の声がした。「 ラブホテルに戻って 」

 

拓也は3回、信号を無視した。自分を恥じり呪った。ラブホテルに戻ってた時、既に他の客が入っていた。

 

問い合わせたところ「 ゴミ置場に捨ててしまいました 」と備え付けの電話で従業員は申し訳なそうに応えた。

 

ゴミ置場に紀香は頭から突っ込まれていた。近所のガソリンスタンドで、灯油を購入して、ラブホテルの周りに撒き火を点けた。

 

やり過ぎだろう?とあなたは想うかもしれない。

 

ただ冒頭にでも言ったように、君の立場になったら君が正しい、僕の立場になったら僕が正しい。拓也も、そう感じている。

 

ごめんね、と拓也は涙を流しながら、紀香に謝罪する。

 

大丈夫よ、と紀香は無表情で拓也を慰める。

 

消防車のサイレンの音が遠くから聞こえる。部屋から何組かのカップルが悲鳴をあげながら転がるように出てくる。

 

その火が消えても、拓也と紀香は見つめ合っていた。

 

小説『 レトリック・サーカス 2 』平と南

 

【 習慣 】

 

《 長い間それを繰り返し行うことで、あたかもそうすることがきまりのようになったことである。基本的には、行動、身体的な振る舞いを指しているが、広くは、ものの考え方など精神的・心理的なそれも含みうる。

 

ある人の習慣は、後天的な行動様式であり、反復して行われることで固定化され、いつしか その人とその人の習慣を切り離して考えることができないような状態になる場合も多い。「習慣は第二の天性なり」とも言われる 》

 

朝起きてから、寝るまでの間に、知らない間に染み付いている行動が誰にだってある。

 

例えば僕の場合、目覚ましにセットした時刻より5分前に起きる。

 

朝、歯を磨く時は普通の歯ブラシを使用して、夜寝る前は電動歯ブラシを使用する。

 

理由?特にない。それを習慣と言ってしまえば簡単だし、一種のおまじないの様なものだ。

 

1つでも習慣通りに過ごせなければ、何か悪い事が起きる予感がする。実際、そうなった場合「 やっぱりか 」と思う。

 

有難いのは、僕ら人間は忘れてしまう能力がある事だ。大抵の「 悪い出来事 」は1年も経てば忘れてしまっている。運が良ければ笑い話になって活躍する事もある。

 

そろそろ、僕自身の話は止めて、物語を進めよう。

 

この物語の主人公、平も習慣を大事にする人間の1人だ。

 

平は、人を殺しに行く前に、必ず床屋に行く。髪を整えてる間にイメージをする。幾つかのパターンがあり、幾つかの対応を考える必要がある。そして何よりも死んでいく者に対するマナーだと考えている。

 

平のお気に入りの床屋は「 いらっしゃいませ 」も「 こんにちは 」もない。

 

「 どうぞ 」と床屋の亭主は椅子を軽く叩く。平は静かに座る。

 

「 ナチュラルカットですね? 」と床屋の亭主は言う。

 

平は当たり前の様に頷く。この床屋は「 ナチュラルカット 」以外、存在しない。小難しい注文は一切受け付けない。

 

この床屋は夫婦で経営している。亭主は、映画バーバーの主人公ビリーボブソーントンに雰囲気が似ている。あるいは意識しているのかもしれない。

 

勿論、そんなことはどうでもいい。重要なのは、自分の仕事をやり遂げる為に必要な時間が、ここは確保できる確信があるから平は通っている。有難いことに床屋の亭主は無口だ。

 

いつもシャンプーをしてくれる奥さんが休みだと言うので、亭主が代わりにしてくれる。

 

「 映画の撮影です 」と平の髪をタオルで拭きながら言う。

 

平は一瞬、話の意味が解らないが、それが奥さんの不在理由を意味するものだと気付く。確かに奥さんは、マリリンモンローみたいな服装とサングラスをして店内に必ずいる。

 

「 地底人役らしいです 」と床屋の亭主は言う。

 

「 地底人? 」

 

「 地底人が手当たり次第に、ミサイルを打ち上げるんです 」と床屋の亭主は言う。今まで何年も通っているが、こんなに話したことはない。2人の間しか知らない秘密を知った様で、仕事前だというのに平は嬉しくなる。

 

髪を整えた後、店を出ると同時にBMWが店の前に停まる。ドアを開けると助手席には、ジャックダニエルとストッキングが無造作に置かれている。平は、それらを後ろ席に置き、助手席に座る。車内はThe Whoの『 Who are you? 』が流れている。

 

《 俺は地下鉄に乗って街を出たよ
ローリング・ピンに戻ったんだ
俺はなんだか死にかけたピエロみたいな気がしたぜ
名犬リンチンチンみたいな犬を連れた

俺はぐんと後ろにそっくり返りしゃっくりをした
で 自分の忙しい一日を振り返ってみたんだ
ティン・パンでの11時間労働

他に道はないのかよ 》

 

運転席に座っている南は、ハンドルを叩きながらリズムをとっている。

 

ジャックダニエルにウィスキーの造り方を教えたのは黒人の奴隷だったことは知ってるかな? 」と平は訊ねる。

 

「 知らないし、興味もないわ。だって、あなただって中身をすり替えられたら、それがジャックダニエルって解る? 」と南は言う。

 

「 それぐらい解るよ。ジャックダニエルは、どう転んでもジャックダニエルだよ 」と平は心外だとばかりに応える。

 

「 真実は見た目が全てなのよ。中身で判断できる程、私達が優れていると思う? 」と南は言う。

 

The Whoは《 お前は誰だ? 》と繰り返す。

 

平も南も、自分が何者か解っている。それに、恥じらいも、後ろめたさもない。何者にもなれなかった2人が選んだ道だった。

 

小説『 レトリック・サーカス 1 』ジキルとハイド

 

『 死に方は自分で選べる 』

 

お前ら人間は勘違いをしている。

人間が選べるのは生き方だけだ。

死に方は俺たちが決めている。

それはずっと前からのことだ。

有難いと思え。

こんな面倒な役、誰がやりたがる?

 

寿命に善人も悪人も関係ない。

善人が長生きする訳でもなく、悪人が早く死ぬ訳でもない。

むしろ、ずる賢く生きている奴の方が長く生きている。

 

「 ちょっと兄さん、誰に向かって話してるの? 」とジキルは言う。

 

「 演説の練習だ。以前、数学教師を懲らしめた時、気持ち良かったからな。死神だって練習ぐらいする 」とハイドは言う。

 

一つの頭に二つの顔。

 

正面から観て、左側がジキル。右側がハイド。

 

ジキルは青色の顔。ハイドは赤色の顔を持っている。

 

腕、体、足は緑色をしている。

 

弟のジキルが話している時、
兄のハイドは目を閉じる。

 

兄のハイドが話している時、
弟のジキルは目を閉じる。

 

彼ら( 一つの肉体に二つの顔を持っているので、そう呼ぶことにする )は、人間や動物に憑依する。

 

彼らは人間や動物に憑依し、寿命がきた人間を間接的に死に至らしめる。

 

憑依された人間や動物は、その時の記憶を失っている。

 

数え切れない程、砂時計が並んでいる。

そのどれもが、砂の残りがわずかなものばかりだ。

 

「 今日は何人だ? 」とハイドは言う。

 

「 12522人 」とジキルは言う。

 

「 今日も多いな 」とハイドは言う。

 

「 でも、ありがたい事だよ。人間の哀しみで僕らは生きていけるんだし 」とジキルは言う。

 

「 死神が生きていくのも、楽じゃない 」とハイドは言う。

 

彼らは、砂時計を一つ一つ撫でる。

ゆっくり撫でた後、口に入れる。

12522個を時間をかけて入れていく。

 

彼らなりの儀式の様なものだ。

それを毎日繰り返している。
砂時計が止まる分だけ、人間の命は止まっていく。

 

確かに、こんなに面倒くさい役は誰もやりたがらないだろう。

 

 「 無理ですよ、生活があるんです。家のローンだって、あと25年残ってる。今、辞めてしまったら家族を路頭に迷わせてしまう 」とヨレヨレのポロシャツを着た名倉康介は言う。

 

ドラキュラに血を吸われてしまったみたいに顔が青白い。額には汗が滲み出ていてハンカチで何度も拭っている。

 

今日、寿命が尽きる人間の1人、名倉康介。

 

名倉康介は仕事の労働時間や給与に不満を持っていた。仕事を辞めたいが辞められない。答えはとっくに出てるが誰かに聞いてもらいたい。ほんの少しでも吐き出したい。だから、お金を払ってでも相談所に行く。

 

「 仕事に、命をかけるなんて死ぬほどダサイことです。あなたが会社からいなくなっても困りません。何故なら代わりならいくらでもいるからです。あなたが、その仕事をしなくても誰かがします。山口さんか、あるいは塩谷さんがします。あなたが明日、会社を辞めても誰も困りません。もし、あなたが明日も会社に出社して、お金や家のローンの為に働き、身体を壊して、働けなくなっても会社は違う誰かを雇います。でも、あなたの家族は違います。家族にとって、あなたは大切な存在です。夫であり、父親です。たかがお金なんです、たかが家なんです、たかが仕事なんです 」と相談所の男は言う。

 

「 涙が出るね、兄さん。こんな優しい人間は珍しい 」とジキルは言う。

 

「 残念だが、優しく励まされたぐらいで寿命は延びたりしない 」とハイドは言う。

 

名倉康介は帰宅途中に、上司から連絡が入り出社しなければならなくなる。名倉康介の中で何かが外れた音がする。

 

かたん、と小さな音が頭の中で響き、耳を塞いでも鳴り止まない。吐き気がする。吐いても吐いても終わらない。「 あいつを殺さなければ、これは止まらない 」と名倉康介は思う。

 

ジキルとハイドは名倉康介の上司に憑依する。

 

名倉康介が怒鳴りながら事務所のドアを開ける。従業員の短い悲鳴が上がる。「 名倉さん、何やってるの? 」

 

名倉康介の右手にはナイフが握りしめられている。そのナイフは5か月も前から購入していた。この日を、この瞬間を出社する度に想像していた。

 

名倉康介は喚き散らしながらナイフを突き出す。上司に憑依したジキルとハイドは、身軽にかわして、ぽんっと背中を押す。スローモーションで名倉康介は回転しながら机に後頭部をぶつける。

 

「 悪いな。死に方は選べないんだ 」とハイドは言う。

 

小説『 スピッツァー 』

 

今になって振り返ってみれば「 あの時が人生の分岐点だった 」と思える場面が何度もあった。

 

進学した学校であり、付き合った男性や友人であり、就職先、結婚、そして離婚。

 

誰かが( 願わくば神様が )左へ進むか、右へ進むか、もしくは立ち止まり嵐が過ぎ去るのを待つのか。そっと助言してくれれば結果は変わっていたかもしれない。

 

厄介なのは進んだ後、それが正解かどうか解るのには時間がとてもかかる。オセロゲームの様に、白黒はっきりさせる事を望んでいるのに、不正解だったら、と慌ててしまう。グレーゾーンで生きてる方が、あまりにも楽すぎる。

 

「 そんな時には、このスピッツァーが便利ですよ、ムフフ。これさえあれば人生の分岐点が解るわけですよ。いいえ、お金は要りません。私たちの住む町ではお金なんて存在しないんです。ムフフ 」とウーパールーパーは言う。

 

一週間前に離婚が成立したばかりでホッとしていた矢先の出来事だった。ストレスを解消する為に、今まで我慢をしていた洋服の買い物をショッピングモールで済まし、フードコートでサーティワンの列に並んでいる時、ゲームセンターの人だかりが気になった。列から外れ、近付いてみるとUFOキャッチャーを一心不乱に遊んでいる男性がいた。景品は狭い飼育ケースに入れた昆虫類だった。

 

「 パパ、あと1個でいいからね 」と子どもが言った。男性はガッツポーズをしてみせ「 任せとけ! 」と笑っていた。男性は既に7個も景品をゲットしていて、子どもの周りにブロックの様に積み立てられていた。飼育ケースの中の昆虫が微動だにしない状況を観て、まるで玩具の様だな、と思った。

 

宣言した通りに男性はゲットした。その飼育ケースをみた子どもは「 気持ち悪い 」と怪訝そうな顔をして「 おばちゃんに、これあげる 」と渡されたのがウーパールーパーだった。上手く断るタイミングを逃し、私とウーパールーパーはゲームセンターにぽつんと取り残された。

 

仕方なく家に帰り、ネットで水槽ケースと餌を購入した。話しかける相手がウーパールーパーだけだったが、気を紛らせるだけの存在には充分だったし、元旦那と違い私を裏切る事はなかった。

 

今日、帰宅すると水槽ケースにウーパールーパーの姿は無かった。私は軽いパニックになったがリビングの部屋から「 私はここです 」と誰かが言った。そこには、ウーパールーパーの顔をした人間が、いや、人間の身体をしたウーパールーパーが正座で座っていた。

 

メトロン星人みたいでビックリしますか?ムフフ 」とウーパールーパーは言った。私は返答に困ったまま気絶した。

 

目が覚めると、やはりウーパールーパーは正座をして待っていた。買い換えたばかりの無印良品の炬燵を挟む様にして、私達は向き合い話し合った。ウーパールーパーは無表情だが真剣に私の話を聴いて、頷いたり、首を横に振ったりしてくれた。

 

スピッツァーって宇宙望遠鏡じゃないんですか? 」とサングラスを渡された私は言う。

 

「 あれは普通のスピッツァーですよ。確かに普通のスピッツァーは宇宙望遠鏡です。スピッツァーは普通じゃなくなるとサングラスになります、ムフフ。断っておきますがウルトラセブンの変身道具じゃありませんよ。普通じゃないスピッツァーなんです、ムフフ 」と無表情のまま可笑しそうにウーパールーパーは話す。

 

「 これがあれば本当に、人生の分岐点が判るんですか? 」

 

「 正確に言うとみえるんです。どちらに進めば納得できる道を選んだか。私は、あなたと出逢う事は知っていました。景品として、あのゲームセンターに納品される事も、あの男性が私を取り、子どもがあなたに私を渡す事も、何故なら 」「 このスピッツァーがあるから 」と私は話に割り込む。「 そうです。仰るとおりです、ムフフ。命の恩人である、あなたには幸せになってほしいのです 」

 

私は腕組してスピッツァーと呼ばれるサングラスを見つめて考えた。このウーパールーパーを素直に信じていいものか、サングラスをかけたあと、ひょっとして私自身もウーパールーパーになってしまうじゃないか、それと同時に、この先も人生の分岐点と対峙していくのかと、気が重くならずにはいられない。

 

「 5分後に、元旦那さんから連絡が入ります。合鍵を返す為です。あなたは、ここでも人生の分岐点に立ちます。郵便受けに入れるのを支持するのか、まだ元旦那に未練があり、この家に招き入れるのか 」とウーパールーパーは言う。

 

スピッツァーがあるから、どの選択が正しいかみえるんですね? 」と私は言う。

 

そうです、仰るとおりです、ムフフと言いながらウーパールーパーは立ち上がり、玄関まですたすた歩いていく。

 

スピッツァー、大事にして下さいね 」とやはり無表情のまま一度だけ振り返りウーパールーパーは玄関から出て行く。

 

部屋にはウーパールーパーの水槽ケースとスピッツァーが残されている。元旦那から連絡が入るまで、あと1分20秒も残っている。元旦那もスピッツァーを持っている事を願い、私はサングラスに手を伸ばす。