小説『 スピッツァー 』
今になって振り返ってみれば「 あの時が人生の分岐点だった 」と思える場面が何度もあった。
進学した学校であり、付き合った男性や友人であり、就職先、結婚、そして離婚。
誰かが( 願わくば神様が )左へ進むか、右へ進むか、もしくは立ち止まり嵐が過ぎ去るのを待つのか。そっと助言してくれれば結果は変わっていたかもしれない。
厄介なのは進んだ後、それが正解かどうか解るのには時間がとてもかかる。オセロゲームの様に、白黒はっきりさせる事を望んでいるのに、不正解だったら、と慌ててしまう。グレーゾーンで生きてる方が、あまりにも楽すぎる。
「 そんな時には、このスピッツァーが便利ですよ、ムフフ。これさえあれば人生の分岐点が解るわけですよ。いいえ、お金は要りません。私たちの住む町ではお金なんて存在しないんです。ムフフ 」とウーパールーパーは言う。
一週間前に離婚が成立したばかりでホッとしていた矢先の出来事だった。ストレスを解消する為に、今まで我慢をしていた洋服の買い物をショッピングモールで済まし、フードコートでサーティワンの列に並んでいる時、ゲームセンターの人だかりが気になった。列から外れ、近付いてみるとUFOキャッチャーを一心不乱に遊んでいる男性がいた。景品は狭い飼育ケースに入れた昆虫類だった。
「 パパ、あと1個でいいからね 」と子どもが言った。男性はガッツポーズをしてみせ「 任せとけ! 」と笑っていた。男性は既に7個も景品をゲットしていて、子どもの周りにブロックの様に積み立てられていた。飼育ケースの中の昆虫が微動だにしない状況を観て、まるで玩具の様だな、と思った。
宣言した通りに男性はゲットした。その飼育ケースをみた子どもは「 気持ち悪い 」と怪訝そうな顔をして「 おばちゃんに、これあげる 」と渡されたのがウーパールーパーだった。上手く断るタイミングを逃し、私とウーパールーパーはゲームセンターにぽつんと取り残された。
仕方なく家に帰り、ネットで水槽ケースと餌を購入した。話しかける相手がウーパールーパーだけだったが、気を紛らせるだけの存在には充分だったし、元旦那と違い私を裏切る事はなかった。
今日、帰宅すると水槽ケースにウーパールーパーの姿は無かった。私は軽いパニックになったがリビングの部屋から「 私はここです 」と誰かが言った。そこには、ウーパールーパーの顔をした人間が、いや、人間の身体をしたウーパールーパーが正座で座っていた。
「 メトロン星人みたいでビックリしますか?ムフフ 」とウーパールーパーは言った。私は返答に困ったまま気絶した。
目が覚めると、やはりウーパールーパーは正座をして待っていた。買い換えたばかりの無印良品の炬燵を挟む様にして、私達は向き合い話し合った。ウーパールーパーは無表情だが真剣に私の話を聴いて、頷いたり、首を横に振ったりしてくれた。
「 スピッツァーって宇宙望遠鏡じゃないんですか? 」とサングラスを渡された私は言う。
「 あれは普通のスピッツァーですよ。確かに普通のスピッツァーは宇宙望遠鏡です。スピッツァーは普通じゃなくなるとサングラスになります、ムフフ。断っておきますがウルトラセブンの変身道具じゃありませんよ。普通じゃないスピッツァーなんです、ムフフ 」と無表情のまま可笑しそうにウーパールーパーは話す。
「 これがあれば本当に、人生の分岐点が判るんですか? 」
「 正確に言うとみえるんです。どちらに進めば納得できる道を選んだか。私は、あなたと出逢う事は知っていました。景品として、あのゲームセンターに納品される事も、あの男性が私を取り、子どもがあなたに私を渡す事も、何故なら 」「 このスピッツァーがあるから 」と私は話に割り込む。「 そうです。仰るとおりです、ムフフ。命の恩人である、あなたには幸せになってほしいのです 」
私は腕組してスピッツァーと呼ばれるサングラスを見つめて考えた。このウーパールーパーを素直に信じていいものか、サングラスをかけたあと、ひょっとして私自身もウーパールーパーになってしまうじゃないか、それと同時に、この先も人生の分岐点と対峙していくのかと、気が重くならずにはいられない。
「 5分後に、元旦那さんから連絡が入ります。合鍵を返す為です。あなたは、ここでも人生の分岐点に立ちます。郵便受けに入れるのを支持するのか、まだ元旦那に未練があり、この家に招き入れるのか 」とウーパールーパーは言う。
「 スピッツァーがあるから、どの選択が正しいかみえるんですね? 」と私は言う。
そうです、仰るとおりです、ムフフと言いながらウーパールーパーは立ち上がり、玄関まですたすた歩いていく。
「 スピッツァー、大事にして下さいね 」とやはり無表情のまま一度だけ振り返りウーパールーパーは玄関から出て行く。
部屋にはウーパールーパーの水槽ケースとスピッツァーが残されている。元旦那から連絡が入るまで、あと1分20秒も残っている。元旦那もスピッツァーを持っている事を願い、私はサングラスに手を伸ばす。