素敵な図書館

毎週土曜、夜11時に僕、佐藤が自作小説をアップしていくブログです。コーヒー、あるいはお酒を飲みながら訪問していただけたら嬉しいです

小説『 オアシス・アイス 』

 

「 たかがお金、たかが家だと想って下さい 」

 

毎日、私の事務所に数多くの人達が訪れる。彼らは、彼女らは企業に対し労働時間や給与、待遇などに不満を持つ人達だ。契約内容の違いに嘆き「 俺は奴隷の様に働かされている 」と怒鳴る。訴えるつもりは初めからなく「 働きやすい環境を 」と涙目を浮かべる。

 

「 会社を辞めるつもりはないんですか? 」と私は言う。

 

「 無理ですよ、生活があるんです。家のローンだって、あと25年残ってる。今、辞めてしまったら家族を路頭に迷わせてしまう 」とヨレヨレのポロシャツを着た男性は言う。ドラキュラに血を吸われてしまったみたいに顔が青白い。額には汗が滲み出ていてハンカチで何度も拭っている。

 

「 話を伺っていると、あなたは会社を辞めたくて辞めたくて仕方ないと感じます 」と私は言う。

 

「 そりゃあ、辞めたくもなりますよ。10年間、1度も給料が上がった事がないんですよ。たったの1度も。休日出勤は当たり前、その手当ても付きません。月に何時間働いても残業代も付かないんです。これじゃあ、いつか倒れますよ 」と男性は言う。

 

「 たかがお金、たかが家だと想って下さい。それが重要です。いいですか?あなたが明日、会社に行かなくても、会社は困りません。多分、あなたが出社していない事にも気付かない。何事もなく、いつもの様に時間は過ぎて行きます。帰り際、ある従業員の人がこう言います。「 そう言えば今日、名倉さん見た? 」違う従業員の人がそれに応えます。「 まぁ、代わりがきく仕事だから問題ないな 」

 

目の前の男性は私の言葉に腹を立ててるようで、目が血走ていくのが判る。肩を震わせて今にも殴りかかってきそうだ。構わず私は続ける。

 

「 仕事に、命をかけるなんて死ぬほどダサイことです。あなたが会社からいなくなっても困りません。何故なら代わりならいくらでもいるからです。あなたが、その仕事をしなくても誰かがします。山口さんか、あるいは塩谷さんがします。あなたが明日、会社を辞めても誰も困りません。もし、あなたが明日も会社に出社して、お金や家のローンの為に働き、身体を壊して、働けなくなっても会社は違う誰かを雇います。でも、あなたの家族は違います。家族にとって、あなたは大切な存在です。夫であり、父親です。たかがお金なんです、たかが家なんです、たかが仕事なんです 」と私は言う。

 

事務所の窓から男性の後ろ姿が観える。地下鉄の入り口に吸い込まれる様に階段を降りていく。彼は明日、会社に出社するのだろうか。数え切れない人達が仕事に命をかけている。毎日の暮らしを支える為に命をかけている。選挙カーが通り過ぎる。あのスピーカーで教えてあげるべきなんだ。本当に伝えないといけないことを伝えるべきなんだ。

 

ドアのノックがなる。女性が椅子に座る。悩んでる人達はみんな同じ顔をしている。選ぶことを選ばない顔をしている。あのドアを開ける前から、女性はずっと前から答えを出している。