小説『 ナチュラル・カット 』
床屋は無口に限る。
職業は何か?結婚しているのか?子どもは何人いるか?いるなら何歳か?男の子か女の子か?出身は何処か?休みの日は何をしているか?趣味は何か?
「 佐藤さんは趣味ってあります? 」と本気で知りたくないであろうに、会話のキャッチボールが始まる。
「 映画が好きです 」と僕は言う。
「 俺、ブラッドビッドが好きです。ファイトクラブなんて最高ですよねぇ 」
「 ブラッドピット 」と僕は言う。
「 えっ? 」
「 ブラッドビッドじゃない。ブラッドピット 」
「 あぁ、名前って難しいっすよねぇ。佐藤さん誰が好きなんですか? 」
「 イーサンホーク 」と僕は言う。
「 食べ物みたいな名前っすねぇ 」と相手は感心する。
それから僕はイーサンホークの映画を観る度に彼を思い出し胸やけがする。
自分が気持ち良ければ、相手も気持ち良いと思うのは幻想だ。相手に興味を持てば心が通じ合える、これも幻想だ。
何で初対面の人間に自分の事を話さないといけない?
こんな事を言うと、あなたは「 なんて淋しい人なんだろう? 」と思うかもしれない。
ほっといてほしい。そんなこと僕の勝手じゃないか。どう生きようが僕の勝手じゃないか。
だから、床屋は無口に限る。
僕は無口な床屋に月に2日のペースで通っている。どこにでもあるような、何の変哲もない店構えの床屋。
その床屋は夫婦で経営している。店の亭主は、映画バーバーの主人公ビリーボブソーントンに雰囲気が似ている。あるいは意識しているのかもしれない。勿論、そんなことはどうでもいい。重要なのはそこじゃない。
奥さんはいつもサングラスをしていて、つばの広い白い帽子を被っている。目の前の鏡は自分を映す為に存在してるかの様に、時々マリリンモンローみたいなポーズをする。
僕はそれを観て吹き出しそうになるが、ぐっと堪える。この夫婦の無口が護られているならば、それも良しとしなければならない。
あなたが客として来ても「 いらっしゃいませ 」も「 こんにちは 」もない。
「 どうぞ 」と亭主は椅子を軽く叩く。あなたは静かに座る。
「 ナチュラルカットですね? 」と亭主は言う。
あなたはやはり静かに頷く。何故ならこの床屋はナチュラルカットしかないから。
「 ナチュラルカット? 」確かに僕も父親に勧められて来たものの、初めて来た日は意味が分からなかった。
「 皮付きのポテトをイメージして下さい 」と亭主は鏡越しに僕の問いに答えた。
「 自然な感じに仕上げてくれるってことですか? 」と僕は言った。
「 皮付きポテトです 」と亭主は言った。僕は諦めた。ロボトミー手術をされるんじゃないかと不安だったが、仕上がりはなかなかの出来だった。
あなたも不安がることはない。「 ナチュラルカット 」は皮付きポテトなんだと思えばいい。熱した油を頭にかけられるわけじゃない。安心してくれていい。
奥さんがシャンプーをしてくれる。水はペットボトルに入ったミネラルウォーターを使う。
「 ジャガイモを洗う時は、ミネラルウォーターを使うのよ 」と頭を揉みながらセクシーな声であなたの耳元で囁く。
僕は推測する。
この無口な床屋の夫婦は、ジャガイモが好きで毎食テーブルの上には、フライドポテトが並んでるかもしれない。
そして僕は、そのテーブルの席に僕とあなたが招待されることを想像する。
山盛りの皮付きポテトがテーブルに広げられている。それは皿の上にはない。テーブルの上に広げられている。
「 どうぞ 」と亭主は言う。
「 ミネラルウォーターが肝心なの 」とセクシーな声で奥さんは囁く。
「 ナチュラルカットですね? 」と僕とあなたは夫婦に尋ねる。
無口な床屋の夫婦は頷き「 どうぞ 」と声を揃えて言う。
僕達は無言で目の前の皮付きポテトを食べる。本当に伝えたいことは、言葉なんかで収まりきれない。僕達は言葉を発さず多くを語り合う。