小説 ルーザー 9 ージキルとハイド
彼らの前に8255個の砂時計が並んでいる。
一つ一つ撫でながら口に入れていく。
今日もいつもの儀式が始まる。
「 それにしても酷い話だね、兄さん。自分の教え子を殺しちゃうなんて 」と弟のジキルは言う。
「 人間で1番怖いのは普通の顔をして、普通に暮らしている奴らだ。武器を持っている奴じゃない。それは、警備員であり、スーパーの店員であり、電車の車掌であり、学校の教師だったりする 」
と兄のハイドは言う。
だからと言って、と兄のハイドは続ける。
「 そいつらが、人間の命を終わらせる事は許されない。人間には寿命がある。身勝手に終わらせる事は、俺たちでさえ許されない。そうだろ? 」
「 そのとおり 」
と弟のジキルは言う。
「 その場合、的確な判断が必要になる。そうだろ? 」
と兄のハイドは言う。
「 そのとおり 」
と弟のジキルは言う。
「 お前だったら、この場合はどうする? 」
と兄のハイドは聞く。
「 父親に憑依して、その学校教師の頭を金属バットでカチ割る! 」
と弟のジキルは言う。
それも悪くない、ただ、それじゃあ芸がないと兄のハイドは言う。
砂時計を一つだけ違う場所に置く。
なるほど、と弟のジキルは言う。
「 でも兄さん、それってルールを破る事になるよ 」
「 ルールは破る為にある 」
と兄のハイドは言う。
「 今度こそ、ウルトラの父の言葉だね 」
と弟のジキルは言う。
そのとおり、と兄のハイドは言う。
小久保は、客がつかまらなくてイライラしていた。
おまけにこの雨だ。ついてないな、と舌打ちをする。
タクシーの外に出てタバコを吸う。
本当は車内で吸いたい。勿論、今の時代にそれは許されない。
斜め向かいに喫煙所が見える。
電話ボックス3個分ぐらいの部屋に、ぎゅうぎゅう詰めで人が入り、不味そうにタバコを吸っている。
喫煙者はますます不健康になるだろうな、と小久保は想う。
小久保はプロレスを辞めてから、タバコを吸い始めた。現役の時は、息切れをしない為に吸わなかったが、今では、吸わないと息切れをしてしまう。
車にもたれかかっていると、目眩を覚える。
俺も、もう年かな、と小久保は想う。
耳鳴りが酷くなり、立って居られず地面にしゃがみ込み。
耳元で、「 悪いな 」と声がする。
小久保の身体に、彼らが憑依する。
小久保は、電話を取り出し、4を1度押し、0を8回押し、最後に4を押す。
ほどなくして、目の前にタクシーが止まる。
小久保はタクシーに乗り込む。
「 行き先は分かるよな 」と小久保は言う。
「 タクシー運転手が、タクシーを呼ぶなんて笑えるね 」とタクシー運転手は言う。
車内はチェット・ベイカーが真空管アンプから心地よく流れている。
「 時々、あんたの歌が聴きたくなる 」
と小久保は言う。
「 さっきまで変な客を乗せてたよ。おまけに今度は、あんただ。今日はついてない 」
とタクシーの運転手は言う。
コンコンと、少年が車のドアをノックする。
小久保はパワーウィンドーを下げる。
悪いが相乗りはしない、と小久保は言う。
「 死神さんと目的地が一緒なんです 」
と少年は言う。
この坊主、心眼師かと、小久保は呟く。
「 なぁ、坊主。大人は色々忙しいんだ 」
と小久保は言う。
「 子どもだって、色々、忙しいんです 」
と少年は言う。
何を言っても、少年は動きそうになかった。
邪魔はするなよ、と言い小久保はタクシーのドアを開ける。