素敵な図書館

毎週土曜、夜11時に僕、佐藤が自作小説をアップしていくブログです。コーヒー、あるいはお酒を飲みながら訪問していただけたら嬉しいです

小説『 寝言 』

 

妥協。それこそが夫婦円満の秘訣であり、家族が家族で在り続けられる最大の防御だと、私は想う。

 

洗濯干しのやり方、衣服類のたたみ方、クローゼットやタンスの収納の仕方、部屋掃除のペース、トイレットペーパーのストックの数、食器の趣味、玄関に置く靴の数、テレビチャンネルの主導権、週末の予定。

 

これがなければ、どこかの国みたく無駄な争いが起きて血を流すことになる。勿論、私は血なんか流したくないし、穏やかに暮らせることを強く望んでいる。

 

慣れるまでには少し時間がかかる。私と同じ人間なんているはずがないのだから、同じ考え方や感覚で人生を共にできるはずがないのだ。

 

しかし、妥協には限界がある。それが妻の寝言だ。

 

私がリビングで映画『 オデッセイ 』のDVDを観ていると高校3年生の長男が「 また始まったよ 」と2階を指差しながらぼやく。

 

私と長男は階段を一段一段静かに上がり寝室の前に止まる。妻が北島三郎の『 まつり 』を大声で歌っている。

 

男は祭りで そうさ
男を みがくんだ
山の神 海の神
いのちを本当に ありがとう
船に五色の 旗をたて
海の男が 風を切る
祭りだ 祭りだ 祭りだ 大漁祭り
見ろよ真っ赤な 陽が昇る
倅一番 船をこげ

 

「 父さん、1度病院に診てもらった方がいいよ。今日で何日目? 」

 

「 59日 」と私は言う。

 

妻の寝言は59日間絶えず続いている。初めは面白がっていたものの最近では恐怖すら感じる。下手な怪談話よりずっと恐い。外国で寝たままプロレス技をかけて殺してしまった例もある。眠りの中で妻に何が起きているのだろうか。

 

朝、起きると食卓にはバランスの摂れた朝食が彩りよく並んでいる。エプロンを外しながら「 おはよう 」と妻は言う。顔を洗い歯を磨きながら、鏡に映る私に私は尋ねる。「 妻を病院に連れていくべきか? 」妻は驚くだろうし、場合によっては拒否するかもしれない。私達が築き上げてきた妥協が崩れていくかもしれない。「 1回だけでいい。それ以上は調べなくていいから 」と私は妻に妥協案を出すことすら出来ずに60日目の朝を迎えてしまった。

 

「 あなた、絶対にお風呂場の扉を開けないで。開けてしまうと私達は、もう家族ではいられなくなってしまうのよ。いい?絶対に開けないで 」と悲鳴に近い寝言を妻を言った。

 

「 どう思う? 」と私は長男に言う。

 

「 今までの寝言と違う感じだね。寝言と言うより叫びみたいだけど 」と長男は言う。

 

「 お風呂に何があるんだろう 」と私が言うと長男が私の腕を掴んで「 確かめない方がいいよ。2人の為に 」と私に言う。「 2人の為? 」その質問には答えず「 明日、試験だから早く寝る 」と部屋に戻っていく。

 

61日目の朝、私は朝食を食べながら「 1回だけでいい、それ以上は調べなくていいから 」と妥協案を出した。「 そう、私ずっと寝言を言っていたのね 」と妻は言う。私は頷く。「 子どもの為にもっと早く行くべきだったのかもしれないわね。隠し通すことなんて、やっぱり無理ね 」と妻は言う。「 何でそれが子どもの為になるんだ? 」と私は言う。「 あなた、覚えてないの?あなたこそ病院に診てもらうべきだわ 」と妻は言う。 

 

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小説『 オアシス・アイス 』

 

「 たかがお金、たかが家だと想って下さい 」

 

毎日、私の事務所に数多くの人達が訪れる。彼らは、彼女らは企業に対し労働時間や給与、待遇などに不満を持つ人達だ。契約内容の違いに嘆き「 俺は奴隷の様に働かされている 」と怒鳴る。訴えるつもりは初めからなく「 働きやすい環境を 」と涙目を浮かべる。

 

「 会社を辞めるつもりはないんですか? 」と私は言う。

 

「 無理ですよ、生活があるんです。家のローンだって、あと25年残ってる。今、辞めてしまったら家族を路頭に迷わせてしまう 」とヨレヨレのポロシャツを着た男性は言う。ドラキュラに血を吸われてしまったみたいに顔が青白い。額には汗が滲み出ていてハンカチで何度も拭っている。

 

「 話を伺っていると、あなたは会社を辞めたくて辞めたくて仕方ないと感じます 」と私は言う。

 

「 そりゃあ、辞めたくもなりますよ。10年間、1度も給料が上がった事がないんですよ。たったの1度も。休日出勤は当たり前、その手当ても付きません。月に何時間働いても残業代も付かないんです。これじゃあ、いつか倒れますよ 」と男性は言う。

 

「 たかがお金、たかが家だと想って下さい。それが重要です。いいですか?あなたが明日、会社に行かなくても、会社は困りません。多分、あなたが出社していない事にも気付かない。何事もなく、いつもの様に時間は過ぎて行きます。帰り際、ある従業員の人がこう言います。「 そう言えば今日、名倉さん見た? 」違う従業員の人がそれに応えます。「 まぁ、代わりがきく仕事だから問題ないな 」

 

目の前の男性は私の言葉に腹を立ててるようで、目が血走ていくのが判る。肩を震わせて今にも殴りかかってきそうだ。構わず私は続ける。

 

「 仕事に、命をかけるなんて死ぬほどダサイことです。あなたが会社からいなくなっても困りません。何故なら代わりならいくらでもいるからです。あなたが、その仕事をしなくても誰かがします。山口さんか、あるいは塩谷さんがします。あなたが明日、会社を辞めても誰も困りません。もし、あなたが明日も会社に出社して、お金や家のローンの為に働き、身体を壊して、働けなくなっても会社は違う誰かを雇います。でも、あなたの家族は違います。家族にとって、あなたは大切な存在です。夫であり、父親です。たかがお金なんです、たかが家なんです、たかが仕事なんです 」と私は言う。

 

事務所の窓から男性の後ろ姿が観える。地下鉄の入り口に吸い込まれる様に階段を降りていく。彼は明日、会社に出社するのだろうか。数え切れない人達が仕事に命をかけている。毎日の暮らしを支える為に命をかけている。選挙カーが通り過ぎる。あのスピーカーで教えてあげるべきなんだ。本当に伝えないといけないことを伝えるべきなんだ。

 

ドアのノックがなる。女性が椅子に座る。悩んでる人達はみんな同じ顔をしている。選ぶことを選ばない顔をしている。あのドアを開ける前から、女性はずっと前から答えを出している。

 

小説『 きっと、僕の名を呼んでいる 』

 

真夏のアスファルトに腰を下ろす。バーベキューの鉄板の上で焼かれているんじゃないかと錯覚するくらい尻が熱い。額から流れる汗を土の匂いが染みついたタオルで拭う。長靴を脱いで水筒に入った麦茶をコップを使わず流し込む。遠くでウグイスの鳴き声がする。それで少しホッとし、安堵と溜め息が混じった声が出る。

 

「 溜め息を一つする度に、一つ幸せが逃げる 」と僕の隣に来たカエルが言う。

 

「 こんな暑さじゃ、溜め息の一つや二つは出てしまうよ 」と呆れながら僕は言う。

 

「 暑くしたのは誰だろう? 」とカエルは言う。この会話のやり取りは何度目だろう。僕は選手宣誓をするポーズをして、私たち人間です!と叫ぶ。

 

父親が他界して5年が経つ。父親は母親と一緒に農業をして生計を立てていた。母親が一緒に暮らして手伝ってくれたら助かるわ、と泣きついてきた。三人兄弟の末っ子の僕は小さい頃から母親と仲が良かった。僕自身、薬品会社の営業をしていたが、特に一生続けたいと思う仕事ではなかった。これを機会に新しい人生をスタートさせる、そんな淡い期待は、朝から晩まで馬車馬の様に働く母親を間近で見て打ち砕かれた。

 

「 頼みがある 」とカエルは言う。何か頼みごとがある度に僕の休憩時間に現れる。

 

「 雨を降らす事以外なら 」と僕は言う。軽くなった水筒の蓋を開けて中身を見る。もうそろそろ一回り大きな水筒にしようかな、と誰に言うでもなく呟く。

 

「 仲間が子ども達に、爆竹を口から詰められて死んでしまった 」とカエルは少し早口気味に話す。そう話さないと怒りを抑えきれない様な話し方だ。

 

「 夏休みになって余計に酷くなった。今の大人は、それを観ても何も注意しない。辞めなさい、と一言は言う。でも後は何もなかったかの様にスマートフォンに視線を戻す。その内、子どもが人を殺しても同じ様な事が起きる。人間は、命に興味を持たなくなった。当たり前に暮らせることを何とも思っていない。眠ったら、明日が必ずくると思ってる 」とカエルは言う。

 

「 その考えはどうだろうな。最近起きた地震で、誰もが命に興味を持たなくなったとは、言い切れないんじゃないかな? 」と僕は言う。

 

カエルはしばらく黙り「 ムキになって鼻の穴を膨らませるのは父親そっくりだ。爆竹の件、則竹の信号機の近くで集まる子ども達だ。頼む 」とカエルは言いぴょんぴょん跳ねて草むらに入っていく。

 

僕は父親の事を考える。少年野球チームの監督をやる人がいなくて渋々引き受けた父親は、腰を悪くしても何年もやり続けた。僕たち兄弟とは、たったの一度もキャッチボールすらしたことなかったのに。父親もカエルと話せたんだな、と妙な気分になる。嬉しいような馬鹿げてるような。

 

僕は尻を叩き砂を落とす。年季の入った軽トラックに乗って則竹の信号機の近くのコンビニに停める。20分待ったがそれらしい子ども達は通らない。そりゃあそうだ、こんな暑い日に子ども達だって外で遊ばないだろうな、と僕は思う。コンビニでアイスを買って軽トラックの中で食べてると、小学生の男の子3人組が笑いながら通り過ぎる。

 

「 あの子ども達だ 」といつの間にか助手席に座ってるカエルが言う。

 

軽トラックから降りて、子ども達に声をかける。「 君たち最近、カエルに爆竹を入れて遊んでるよね? 」と僕が言うと子ども達は無表情で口をぽかんと開ける。

 

「 だったら? 」と男の子の1人が言う。

 

「 だったら?って。そんなことしたらカエルがかわいそうじゃないか? 」と僕は言う。

 

「 死んじゃうんだから、かわいそうも何もないよ 」と違う男の子が言う。

 

「 そういう問題じゃないだろう 」と僕は呆れながら言う。

 

「 大人の方がもっと酷いことするって知ってるよ。僕の友達がお父さんは仕事を休めずに頭がおかしくなって死んじゃったんだって 」と違う男の子が言う。何も言い返せず僕の右手のアイスは、いつの間にか溶けてなくなっていた。

 

「 ごめん 」と僕は助手席のカエルに言う。カエルは黙ったまま喉を鳴らしている。家に帰ると母親が、昼はそうめんでいい?と洗濯物を干しながら笑っている。

 

「 僕がカエルと話せた事があるって言ったら信じる? 」

 

母親は「 お父さんもそんな事言ってたことあるわよ。いつの間にか話せなくなったんだって 」と親子は似るわねぇと言う。

 

作業着と靴下を脱いで、うちわを扇ぎながら縁側に寝そべる。風鈴が微かな風に頼りなく揺れて小さな音をたてる。それは僕の名前を呼んでる音に聴こえる。やがてその音は蝉の鳴き声に掻き消されていく。

 

 

小説『 地底人ペコ、空を飛ぶ 』

 

「 地底人ペコ、空を飛ぶって映画があったら観たいと思う? 」と僕は彼女に尋ねる。

 

「 200パーセント観ない 」と彼女は言う。

 

世界には、返ってくる答えが判っていても聞かないといけない質問がある。

 

それが、今、僕が彼女に聞いてる質問。

 

僕は聞く時点で、否定されたいと望んでいる。これは事故なんだ、雷に打たれて死んでしまうくらい、確率の低いケースなんだ。そして、死んでしまいたいくらい恥ずかしい質問なんだ。

 

「 だろうね 」と僕は否定された事に、安堵してアイスコーヒーを飲む。

 

プールに行く途中で、彼女が喉が渇いたと言ったので、コメダ珈琲で休憩している。

 

店内は相変わらず、満席で、ひっきりなしに笑い声とひそひそ話が飛びかっている。

 

「 最近の映画? 」と彼女はメロンソーダを飲みながら尋ねてきた。尋ねた瞬間から彼女は違う事を考えている素振りを見せる。

 

僕は疑われることを承知で、起こったことを事細かく説明する。

 

世界には、疑われると判っていても、説明しなくちゃいけない・・・

 

 

それは丁度、今から1カ月前に起きた事だった。

 

僕は建築の設計をしていて、昼の2時に事務所で打ち合わせをする事になっていた。

 

「 こんにちは、地底人ペコです 」と打ち合わせにきた女性は言った。

 

僕は、ドリフのコントみたいにホットコーヒーを吹き出してしまった。

 

「 増田さんですよね? 」と僕は恐る恐る尋ねた。

 

「 それは、地上で生活する為のコードネームです 」と女性は笑った。

 

僕は禁煙を始めたばかりだったし、スピード違反で罰金を払った直後の出来事だった。おまけにお気に入りのスーツにコーヒーが染み渡っていた。

 

「 ふざけないで下さい。こっちは仕事の打ち合わせをする為に、時間を作ってるんですよ 」と僕は怒りながら言った。

 

「 レゴシリーズを集めていますよね?私は、今朝、あなたの家から、レゴを全て盗んできました。一つのパーツ残らず全部です 」と女性は言った。

 

「 冗談でしょ? 」と彼女は言った。メロンソーダは全部飲み終わって、ストローの空気を吸う間抜けな音がズーズーズーと目の前で聞こえる。

 

「 本当なんだ。僕が集めているレゴが綺麗さっぱり無くなっていたんだ 」と僕は言う。

 

「 それ泥棒じゃない? 」と彼女は言う。

 

「 鍵はかかったままだった 」

 

「 地底から入ってきたって言うわけ? 」

 

僕はレゴシリーズを11年集めていた。大切に扱って遊ぶ時には指紋が付かない様に手袋をはめて遊んでいた。目の前に座っている彼女より200倍大切にしていた。

 

「 返して欲しければ、1カ月以内に映画を作って下さい。タイトルは『 地底人ペコ、空を飛ぶ 』いいですか?1カ月以内です 」と女性は言い事務所から出て行った。

 

「 どこかで見たことがある顔なんだ。でも思い出せない 」と僕は言う。

 

「 昔の彼女なんじゃない?それなら部屋に入ることが可能じゃない。合鍵をまだとっているかもしれないし 」と彼女は席を立つ。

 

僕は今まで付き合ってきた女性の顔を思い出そうとしたが、うまく思い出せずにいた。僕は彼女たちの名前も覚えていなかった。

 

ふと顔を上げると、店員が目の前の席に座っていた。

 

「 こんにちは、地底人ペコです。どうやら、あなたは私の約束を守らないようですね。あなたの彼女をあずかりました。今日から1カ月以内に『 地底人ペコ、空を飛ぶ 』作って下さい。いいですか?期限は1カ月です 」

 

小説『 ナチュラル・カット 』

 

床屋は無口に限る。

 

職業は何か?結婚しているのか?子どもは何人いるか?いるなら何歳か?男の子か女の子か?出身は何処か?休みの日は何をしているか?趣味は何か?

 

「 佐藤さんは趣味ってあります? 」と本気で知りたくないであろうに、会話のキャッチボールが始まる。

 

「 映画が好きです 」と僕は言う。

 

「 俺、ブラッドビッドが好きです。ファイトクラブなんて最高ですよねぇ 」

 

「 ブラッドピット 」と僕は言う。

 

「 えっ? 」

 

「 ブラッドビッドじゃない。ブラッドピット 」

 

「 あぁ、名前って難しいっすよねぇ。佐藤さん誰が好きなんですか? 」

 

「 イーサンホーク 」と僕は言う。

 

「 食べ物みたいな名前っすねぇ 」と相手は感心する。

 

それから僕はイーサンホークの映画を観る度に彼を思い出し胸やけがする。

 

自分が気持ち良ければ、相手も気持ち良いと思うのは幻想だ。相手に興味を持てば心が通じ合える、これも幻想だ。

 

何で初対面の人間に自分の事を話さないといけない?

 

こんな事を言うと、あなたは「 なんて淋しい人なんだろう? 」と思うかもしれない。

 

ほっといてほしい。そんなこと僕の勝手じゃないか。どう生きようが僕の勝手じゃないか。

 

だから、床屋は無口に限る。

 

僕は無口な床屋に月に2日のペースで通っている。どこにでもあるような、何の変哲もない店構えの床屋。

 

その床屋は夫婦で経営している。店の亭主は、映画バーバーの主人公ビリーボブソーントンに雰囲気が似ている。あるいは意識しているのかもしれない。勿論、そんなことはどうでもいい。重要なのはそこじゃない。

 

奥さんはいつもサングラスをしていて、つばの広い白い帽子を被っている。目の前の鏡は自分を映す為に存在してるかの様に、時々マリリンモンローみたいなポーズをする。

 

僕はそれを観て吹き出しそうになるが、ぐっと堪える。この夫婦の無口が護られているならば、それも良しとしなければならない。

 

あなたが客として来ても「 いらっしゃいませ 」も「 こんにちは 」もない。

 

「 どうぞ 」と亭主は椅子を軽く叩く。あなたは静かに座る。

 

「 ナチュラルカットですね? 」と亭主は言う。

 

あなたはやはり静かに頷く。何故ならこの床屋はナチュラルカットしかないから。

 

「 ナチュラルカット? 」確かに僕も父親に勧められて来たものの、初めて来た日は意味が分からなかった。

 

「 皮付きのポテトをイメージして下さい 」と亭主は鏡越しに僕の問いに答えた。

 

「 自然な感じに仕上げてくれるってことですか? 」と僕は言った。

 

「 皮付きポテトです 」と亭主は言った。僕は諦めた。ロボトミー手術をされるんじゃないかと不安だったが、仕上がりはなかなかの出来だった。

 

あなたも不安がることはない。「 ナチュラルカット 」は皮付きポテトなんだと思えばいい。熱した油を頭にかけられるわけじゃない。安心してくれていい。

 

奥さんがシャンプーをしてくれる。水はペットボトルに入ったミネラルウォーターを使う。

 

「 ジャガイモを洗う時は、ミネラルウォーターを使うのよ 」と頭を揉みながらセクシーな声であなたの耳元で囁く。

 

僕は推測する。

 

この無口な床屋の夫婦は、ジャガイモが好きで毎食テーブルの上には、フライドポテトが並んでるかもしれない。

 

そして僕は、そのテーブルの席に僕とあなたが招待されることを想像する。

 

山盛りの皮付きポテトがテーブルに広げられている。それは皿の上にはない。テーブルの上に広げられている。

 

「 どうぞ 」と亭主は言う。

 

「 ミネラルウォーターが肝心なの 」とセクシーな声で奥さんは囁く。

 

「 ナチュラルカットですね? 」と僕とあなたは夫婦に尋ねる。

 

無口な床屋の夫婦は頷き「 どうぞ 」と声を揃えて言う。

 

僕達は無言で目の前の皮付きポテトを食べる。本当に伝えたいことは、言葉なんかで収まりきれない。僕達は言葉を発さず多くを語り合う。

 

 

小説『 正直な掃除機 』

我が家は、ようやく正直な掃除機を買うことができた。

 

そんなこと恥ずかしくてずっと誰にも言えなかった。

 

ご近所の噂にならないか、長男が友達に馬鹿にされたりしないか、不安で不安でたまらなかった。

 

「 10年かかったわ 」と妻は言った。

 

「 うん 」と僕は言った。

 

「 当社の製品は自己破産した方には売れないんです 」とオペレーターは言った。

 

「 それは困る、どうしても正直な掃除機が欲しいんです 」と僕は半泣きで訴えた。

 

「 奥さんに借金があること黙っていましたよね?貴方が正直じゃなかったせいで困った方がいるんです。正直じゃない貴方が、正直な掃除機を買える資格なんてないんです 」とオペレーターは言った。電話からツバが飛んできそうな勢いのある話し方だった。

 

「 2倍出します 」と僕は言った。

 

「 恥を知れ!コンチクショー 」とオペレーターは怒鳴った。その時の電話で僕の左耳の鼓膜が破れてしまった。

 

あれから10年が経った。

 

我が家はその間、なるべく正直であることに努めた。

 

不満がある時は正直に伝え、嬉しい時には正直にお礼を言った。

 

正直であることは、なかなか素敵なことだと僕は知った。

 

大半のことは正直に伝えることで解決できた。嘘をついたり、見栄を張ったり、共感しているフリをするのを止めたことで、僕は、我が家は楽しく暮らせることができた。

 

「 度数が合っていないメガネをずっとかけていた様な気分だよ 」と僕は言った。

 

「 正直者は馬鹿をみる、と言うけど馬鹿にしたければすればいいのよ。コンチクショー! 」と妻は言った。

 

「 コンチクショー!と言うのは止めてくれないかな? 」と僕は言った。

 

「 あのオペレーターの電話がトラウマなのね。正直に話してくれてありがとう。これからはコンチクショー!なんて言わないわ 」と妻は言った。

 

ある日、真夜中のテレフォンショッピングで正直な掃除機が売り出されていた。

 

僕と妻は一緒にハイボールを飲みながらポテトチップスを食べていた。

 

「 今回、ご紹介する商品は、正直な掃除機です!しかも当社限定のマイク付きです! 」と胡散臭い高い声の司会者が胡散臭い客席に、胡散臭い笑顔を振りまいていた。

 

「 今なら買えるかしら? 」と妻は言った。

 

「 う〜ん、正直に暮らしてる僕らに、今更必要かな 」と正直に僕は言った。

 

「 今度、剛太の家庭訪問があるのよ。さり気なく置いといきたいのよ。先生も正直な掃除機を見たら、安心するんじゃないかしら 」と妻は言った。

 

値段は280万だった。駄目もとでオペレーターに電話したら、あっさり買えた。

 

「 本当に買えるんですか? 」と僕はオペレーターに聞いた。

 

「 勿論です!しかも今回は限定モデルのマイク付きです!明日の夕方にはお届けしますねぇ!」とウキウキ声でオペレーターは言った。

 

約束通り正直な掃除機は、夕方に届いた。

 

佐川急便のお兄さんが片目をつぶって右手の親指をグッと立てて「 グッドラック! 」と言った。

 

箱から取り出して囲い込む様に正直な掃除機を眺めた。

 

「 見る限りでは普通の掃除機だね 」と僕は正直に言った。

 

「 うん 」と妻は言った。

 

「 電源を入れるけどいいかな? 」と僕は言った。

 

「 ちょっと待って。心の準備がいるわ。それにほら、詰め替え用の掃除パックも買っていないし 」と妻は言った。

 

「 ねぇ、この際ご近所さんに聞いてみない。正直な掃除機がどんな効果があるか? 」と僕は言った。

 

そんなわけで恥を承知でご近所さんに正直な掃除機がどんな効果があったか聞いてみた。しかし意外な答えが返ってきた。

 

「 実はね、買ってないのよ正直な掃除機 」とご近所さんは言った。

 

驚いたことに12人に聞いてみたところ、誰も正直な掃除機を買っていなかった。

 

「 私たち、なんであんなに悩んでいたのかしら。正直な掃除機を持っていなかったことにずっと負い目を感じてたなんて。笑えるわね 」と妻は言った。

 

正直な掃除機を買ってから17年、僕は電源を入れずにいる。

 

電源を入れてしまったら、我が家の正直は正直さを保っていられるのだろうか?

 

それでも相変わらず、正直な掃除機は売れ続けていた。

 

我が家が持っている限定モデルはオークションで520万円で売られている。

 

長男は言った。「 ダイソンの掃除機を買えば良かったんじゃない? 」

 

僕と妻はその問いには唯一、正直に答えられずにいた。

小説『 コロニー 』8

会社の近くの蕎麦屋に昼食をとりにいく。店内はサラリーマンやOLで混雑している。隣の席では珍しく中学生が座っている。前に座っているサラリーマンはどう見ても父親ではない。何か事情があるのかサラリーマンの方は険しい顔をしている。私は関わらない様に新聞を拡げ読んでいるフリをする。

料理が運ばれるのを待っていたら、店員に相席を頼まれる。すみません、と苦笑いを浮かべた女性が私の席の前に座る。「 今時、新聞を拡げてる人なんて松嶋さんだけじゃないかしら? 」と女性は言う。私は新聞をたたんで「 どこかでお会いしたことありますか? 」と尋ねる。「 あなたが忘れていたものを私が思い出したのに。酷い言い方ね。コロニーと言えば解るわよね 」と怪訝そうに言う女性は真由美だった。私は言葉に詰まり何を話したらいいのか分からなくなる。「 人殺しがやってきたみたいな顔しないでよね。あっ、私は実際に人殺しか 」と真由美は言いながら右手の袖をめくる。右手は包帯で巻かれている。「 子ども達と一緒に住んでいた家が1人の親にバレたの。うちの子どもを返せって怒鳴ってね。玄関のドアを何度も叩くの。開けないと分かったら今度は窓ガラスを割り出したわ。子ども達を裏口から逃がして私は家に火をつけた。その時の火傷。参った事に肩まで続いているの 」と真由美は笑う。「 その時はそれでいいと思ったんですね 」と私は言う。「 その言葉はコウタから聞きたかったけど。もうこっちにはいないのよね 」と真由美は言う。私は頷く。「 私だけ生き残ったの 」と真由美は言う。「  君のおかげで私は目を覚ますことができた 」と私は言う。今度は真由美が頷く。「 ハヤトが死んだことはあなたのせいじゃないのよ。ハヤトは思い出すことができなかったの。とっても大切な母親との思い出を 」と真由美は言う。「 隼人が神社の近くの藤棚に母親と一緒にいたのは、近くに幼稚園があったからなんです 」「 幼稚園? 」「 隼人は幼稚園に通ってたころ虐められていたんです。他の子より太っていただけで。虐めてる子ども達も悪気はないんです。ゲラゲラ笑って馬鹿にするのが楽しいでしょう。でも毎日、子どもが泣いて帰ってきたら母親はどう思いますか?だから隼人の母親は金属バットを持って幼稚園に殴り込みに行ったんですよ。隼人を虐めてる奴は誰だ!って大声を出しながらグランドを駆け回っていた。隼人はそれを観て『 この先、何があってもお母さんを守ろうって決めたんだよ。笑える話だろ? 」って私に言ったんです。隼人が、そんな大切な思い出を忘れてるわけがないんです 」と私は言う。「 あなたに生きていて欲しかったから、思い出していないフリをしていたわけ? 」それは解りません、と私は言う。「 そうだとしたら、あなたはハヤトの分まで生きなくちゃね 」と真由美は笑う。

私達は蕎麦屋の前で手を振って別れる。これからどこへ行くんですか?と真由美に尋ねる。あなたこそどちらに行くの?と私に尋ねる。苦笑いしながら「 ごめんね。私たちは希望の他には何も持ち合わせてないの。生きている限り希望は続くのよ 」と真由美は言う。「 ショーシャンクの空に 」と私は言う。真由美と別れた後、会社に早退の連絡をする。私は安曇荘に向かう。